私と重ね合わせる、がんサバイバーとの共通点-愛情の壺を満たそう
私は、がんサバイバーではありません
いち鍼灸マッサージ師として女性のがんサバイバーに施術やヨガなどの運動を提供しています
よくいただく言葉
「平沼さんは乳がん経験者なの?」
「経験者じゃないのに、なぜこの分野にここまで情熱を注げるの?」
「当然、経験者だと思っていた」
がんサバイバーへ寄り添うということを提供する人たちの多くは、自身の体験から、
こんなことがあればよかったのに
もっと早くこの情報を知りたかった
など、経験により患者サイドとして必要と感じたものを提供したいという方々です
私自身は、サバイバーではありません
だからこの病気によってどのような苦痛があるのかは想像でしかないですし、お話を聞くということで知っていく、専門家としてメディカルな視点で学びを深め専門知識と技術でお返しする
このような立場をとっています
では、なぜ自身が経験していないのに情熱を注げるのか
私自身も図りかねている部分ではありますが、おそらく、
経験者の方々と私自身が重なる部分を感じるからではないかと思っています
経験していないのに、このようなお話をすることは人によっては気分を害されるかもしれませんが、
がんサバイバーと言われる、がん経験者の方々の多くは「頑張る人」
それも並大抵の頑張りではありません
時には身を削り、心を削り、社会と闘ってきた人
私の目にはそう写っています
とても繊細で優しい方が多く、そのような人柄は時にこの社会において生きづらさを感じてしまうと想像します
なぜなら、私自身がそうだから
親しい人から口をそろえて言われる私の特徴は「ストイック」であるということ
本人にはまるで自覚がなく、このストイックさは良くも悪くも働き、時には人が離れていくこともあります
しかし、繊細に他人の感情や考えていることや奥に秘めた人柄を察知する能力が高いために、考えすぎたり頑張りすぎてしまい、心身を削ってきたことばかり
このストイックさは、自分の身体を傷つける怪我にまで追いやるほどですから考えモノですよ(笑)
あまり多くはここで語りませんが、私自身の経験において心身を削ってきたことは多々あり
心身を削ることで健康を害したこともありました
幸いにも大病に至らずに過ごせています
大なり小なり、心身を削って自分への愛情不足で健康を害する体験は、
がんサバイバーたちの生き方と重なる部分を感じてしまう瞬間が多くあります
ヨガにはこのようなたとえがあります
‐人には、1人に1つ愛情の壺があって、
その壺から溢れた愛情を他人に与えることができる
一方で、愛情の壺が何かの原因で中身が底をつくと不健康になり病気に至るのだ‐
がんサバイバーたちは、頑張りすぎて壺の中身が底をついてしまったのかもしれません
優しい真面目な人たちだから、人々に与える側の人間だから、与えすぎてしまった
そして人からエネルギーを奪うことが得意な人たち(テイカー)から奪われすぎてしまった
こんな見方もできたりしますよね
これは見る側面を変えると、人に与える側の人間(ギバー)の素質があるということ
真面目な人が損をする世の中なんておかしいんだけど
最近は、生きにくい社会すらも愛おしいとすら思えるようになりました
言葉にならない悔しい想いも、哀しくなるような人の弱さも、それなりに見てきました
醜い部分があるのは人間らしいこと
だから清らかな部分が際立つのだと私は信じています
そんな私が、がんサバイバーに施術やヨガを通してお伝えしたいことは、
「あなたは一人じゃない」
人は1人では生きていけないから、
どうかこれからはもっともっと自分のことを自分自身が愛して、人に頼ってほしい
身体が弱っているときにそれを実行するのは非常に難しいことでもあります
頑張れないときは、セラピストが最高の愛情を注ぎ続けたい
壺が愛で満たされて、また人に愛情を与えられるようなあなたになれるように
応援したい
なんだか、そんな気持ちにさせられるのです
私はサバイバーではないのに、自分と重ねてしまうところがある
だからサバイバーたちを応援したい気持ちは、
私自身を肯定したい気持ちもあるのかもしれません
世の中、嫌なことばかりじゃないよ
幸せは日常にこんなに沢山あるんだよ
と、自分を励まさせてもらっているかもしれません
患者様/お客様から学ぶことばかり
一生勉強です
最後までお読みいただきありがとうございました