ライフスタイルにオーガニックという考えを – 愛情の循環もオーガニックライフ
オーガニックライフに興味を持つ人と全く興味を持たない人の違いってなんだろう?と考えてみて、やっぱり分からなかったけれど(笑)私の人との関わり方とか、愛情への考え方とか、共感できたり少しでも話が入ってくる方はオーガニックへの親和性が高いかもしれないと思い、書いてみることにしました
言葉というのは、時に共感を生み、時に誤解を生みます
それは同じ言葉をとってもその言葉そのものが持つ意味に、その人それぞれの背景が投影されてしまうからだと私は思います
オーガニックライフという言葉で受ける印象が人によって違うのも、見ている面が違うからだけかもしれません
これまで、言葉を交わすことで生まれる共感も、様々な行き違いも、心無いことを言われてしまうことも経験してきました
言葉とコミュニケーションは似て非なるもので、
言葉はコミュニケーションの1つのツールでしかなくて、
コミュニケーションを取ろうとして発せられる言葉とコミュニケーションを遮断したくて発せられる言葉があったりします
でも、その距離感もその言葉を受け取る側によって変わってしまって
人と接するのは化学反応のような一定の法則には当てはまらなくて、面白いなぁと日々学んでいます
結局のところ、人と人が関わりあうには共に過ごす物理的な時間が必要
相手にとってその言葉がどういう意味で
どういう距離感を求めていて
行動とどう結びついているのか
それは、オンラインでもオフラインでもその人と接して、理解しようとしてやっと分かり始めるもの
自分以外のことは本当に理解するってできないと思います
反対からみれば、私の理解者は私しかいないということ
あなたの本当の理解者もあなただけ
理解や伝える努力をしようとすら思えない相手は、友愛でも親愛でも恋愛でも性愛でも仕事でも、関係をつくっていくのは難しいですよね
それを相性というのかもしれません
理解しようとしたって、食い違い続ける人も数々出会ってきました
それにより当時の私は傷ついたこともあったし、自信を失うこともあったけれど、それらが今の私を強くしてくれたと今は思えます
こんな研究がありました*
あるスキンシップによる愛情表現の多い母ラットに育てられた子ラットAと、スキンシップを取らない(愛情表現が少ないと捉えられる)母ラットに育てられた子ラットBが成長していくとどのような親ラットになるのか、という研究
これは幼少の頃に受け取る愛着表現や愛情表現がその後の愛情表現方法や心理的安全性の違いに結び付くのではないか、という仮定のもと行われました
子ラットAは親になって、自分の子ラットにも同じようにスキンシップを多くとるようになったそうです
一方で子ラットBは、自分の子ラットにもあまりスキンシップは取らない親になったそうです
研究は次の段階へ
子ラットAと同じ境遇の子ラットA’と子ラットBと同じ境遇の子ラットB’
途中で親を入れ替えました
スキンシップを多くとる親ラットから生まれた子ラットA’が途中でスキンシップをとらない親ラットのもとへ
そして、スキンシップをとらない親ラットから生まれた子ラットB’がスキンシップをとる親ラットのもとへ
そうしたら、どうなったでしょうか?
子ラットA’は成長過程でスキンシップを受けずに育ち親となり、自分の子ラットへスキンシップをとらない親となりました
子ラットB’はスキンシップを受けて育ち親となり、自分の子ラットへスキンシップを多くとる親になりました
この研究から言えることは、コミュニケーションや愛情表現(受け取ることも与えることも含める)には遺伝的な要因よりも環境的な要因が強く関係しているということ
私にも同じようなことがあったなぁとこの研究で思い出しました
ある事があって少し人間不信のようなものに陥ってしまって、人と接することがとても難しかった時期がありました。当時私は学生で一人暮らしをしていました
人になるべく迷惑にならないように気を遣わせないように、というのが念頭にある私は、人と目を合わせることが難しくても、人の話が全く入ってこないような状況でも、外からみたときに平然と立ち振る舞うポーカーフェイスでいる技を身に着けていました
友人にもその当時に私がそんな状況だったとは気づかなかったと言われるほどのポーカーフェイスぶり(笑)
当時は、目を合わせて人と話をすることもできなかったし、日々過ぎていく目の前の景色が電車の窓から見える残像みたいに記憶に残らない、呼吸をしているかしていないかの記憶もない、日々を過ごすことが精一杯で、話が耳に入っていないことを悟られないように多分つくり笑いを浮かべてたんじゃないかと思います
そんな中で出会ったある人の存在が、また人を信じてもいいかもしれないと思うきっかけになりました
また人と目を合わせて話し、笑えるようになりました
その人とはその後、交わることはなくなってしまったけれど、その人との間でも生まれたトライ&エラーは私を強くしてくれたと思います
人に優しくなれない
人からの愛情をうまく受け取れない、うまく返せない
人とうまく接せられない
そう感じる人も、それは一つの個性でありながら、変えられる側面もあるということ
でも変わるには自分一人の力では難しくて
人に優しくなれる勇気をくれる人や
愛情を受け取り与えられる相手がいて
その人とトライ&エラーを繰り返しながら築き上げていく、磨き上げていく、愛情を開花させていく経験が必要ですよね
どんな経験であれ、トライ&エラーがなければ何も生まれなくて
生まれたものが、その時には納得のいかないものかもしれないけれど
何時間か、何日か、何か月か、何年か経ったらきっと
それが私を強くしてくれる
みんな敵ではない
みんなが仲間
より結びつきの強い仲間もいれば
結びつきが希薄な仲間もいて
直接的に交わらない仲間もいるでしょう
意見が食い違う仲間もいるかもしれません
世の中には様々な境遇の人がいて
私も私の価値観でしか、ある言動からの一面を捉えることはできないけれど
相手にも相手の価値観でしか、私の言動の意味を受け取れない
他人には全ての面を見せることはできないのだから、私も無理にみようとは思わないし、触れない面を残しておくことも愛情の1つ
私はトライ&エラーをする一歩を踏み出せる人でありたいですし、その一歩を踏み出せない人に踏み出す勇気を与えられる人でありたいと思います
私に安心をくれたその人のことを魅力的だといってくれた人もいて
もう今は交わらなくなった仲間のことも認めてくれたその人も、私の強い仲間だと心から思えるようになりました
そしてまた新しい交わりのある仲間と愛情の循環を生み出すのです
「誰もとりこぼさない」
SDGsが推進する言葉の一部分ですが、
これは、政策とか、システムとか、そんな外側をかためるメカニカルなことだけでなく、それを動かす血肉を与える人間の内面に血が通い続いていなければ、循環し続けるサイクルを保つことは難しいのではないでしょうか
メカやシステムに命を吹き込むのはヒトであり、AIにできないことが沢山あるはず
面倒くさがらないで、ライフサイクルの一員として、ヒトとして生まれ持った才能を使い果たしたいと私は思います
友愛も、親愛も、恋愛も、性愛も、仕事も
決して一人では成り立たないから
そこには必ず言葉と行動を通したコミュニケーションが存在するから
自分のしたことが誰かの何かになって
それが回り回って自分のためにもなる
すべてのライフスタイルにオーガニックという考えは根付いていると私は思います
物質的なオーガニックはもちろん、あなたの健康を支え誰かの健康のためにもなる
ライフスタイルの根幹にオーガニックという概念を少し取り込んでみると、一人ぼっちではないことに気付けて、より自分を愛し他を愛せる人に近づく
オーガニックライフってみんなの味方で、みんなのためのもの
自分の絶対的な理解者は自分だけだから、
自分だけは自分に拍手を送り続ける味方でありますように
今日はどんな日でしたか?
明日はどんな日になるでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました