オーガニックライフというライフスタイルを知ると、オーガニックでないものへ必要以上に拒否反応を示す人もいます 「こうでなければ」「これが正しいのだ」 オーガニックこそが正しく、それ以外は正しくないというように考えてしまうからかもしれないですし、健康のことを考えると恐ろしくて非オーガニックのものを食べたり使ったりできないと考えるのかもしれません。 その考え方が間違ってるとは思いませんが、そのライフスタイルぶっちゃけ、窮屈じゃない??? とは思います。笑 そんな私もかつて、オーガニックを生活に取り入れ始めて、まず徹底的にやってみようと取り組んだ結果とても大変な思いをした経験があります。 世界のために、環境のために、直接的には関わらない誰かのために、そして自分自身のためにオーガニックを選択するというのはとても素晴らしいことなのだけど それが自分を窮屈にしていたら、それは本当にあなたにとって正しいのだろうか?と私は思います。 自己犠牲で成り立つ善行は、いつか必ずあなたを苦しめると私は思います。 私自身がそうだったから。 その多くはオーガニックライフ以外のことで学びましたが。 自分を自分で満たして、満たす器からこぼれそうなくらい満たされて、そのこぼれる分を誰かに与えられるという例えがあります。 この満たすものをいわゆる自己肯定感や自己愛というようにも言われますが、それは何も精神的なことだけで生まれるものではなく、肉体的に物質的に空間的に生まれるものも多いはず。 これはオーガニックライフにおいても同じことではないでしょうか? オーガニックライフは「みんな」を幸せにするライフスタイル そこに自分も入っていますか? 人生の主人公は自分自身であり、自分の絶対的な味方は、突き詰めると自分しかいないのだと私は思います。 たかがこんな若造に何が分かるんだ、と言われても仕方ありませんが 人は生きて、死ぬ これは全ての生き物に平等に与えられている始末で、当たり前でありながら案外実感することはあまりないのが日常だったりしますよね。 私は医療従事者として、これまででも様々な方々と出会ってきて、肌に触れ、対話をしてきました。そこで死の存在を肌で感じることもありましたし、死を目の当たりにすることも度々ありました。この職業をしているとそれは切っても切れないものですね。 死を感じると、生きているという事実がより際立って鮮明に感じられたこともありました。 生きて、死ぬ そのサイクルのストーリーには様々な登場人物が出てくるはずですが、自分の痛みは他者に同じように伝わらないし、自分の幸せも他者に同じように伝わらないのだということを感じてきました。 それぞれのストーリーがある中で、自分にとっての何かが誰かにとって同じポジションや順序で存在しているわけではないからですよね。 オーガニックライフの主人公も自分自身 しかし、このライフスタイルのストーリーには、作中に直接的に登場してくる人物や動物、物事以外にとてつもなく多くのモノが関わっていることが約束されています。 そしてそれは大きなサイクルの中に自分がいて、自分もそのサイクルを回す一員であるということ。 それが、自己犠牲に働いてしまったら、せっかくの大きなストーリーやサイクルが小さなものとなってしまうのです。 オーガニックライフは自分を大切にしながら他との繋がりを感じるライフスタイル ちょっと面白そうじゃありませんか? 自分に自分が拍手を送る毎日でありますように 最後までお読みいただきありがとうございました