いつまでも慣れない誰かの死
このような職業をしていると、どなたかの死に触れる機会に
それなりに多く遭遇します。
ヒトが一人亡くなろうとしている時に、1番大切なことって何でしょうか?
私は、その人が「生き切った」と思える時間を過ごすことだと思います。
あくまで私の考えですが。
色々な大人の都合とか、社会的都合とか、人間関係とかあるのは、この歳
でさすがに理解しています。
しかし、生きている世界で生きているヒト同士が通い合える時間に、その
生きている世界からその人がいなくなってしまうのだとしたら、その色々
な柵って何のために、誰のためにあるのだろうか、と私は感じるのです。
一期一会、全ては瞬間の連続が人生だとしたら、
その一瞬だって、居合わせた人には意味があって
直接的に関係していようと、何も関係し得なくても、存在していることに
意味があって
何も影響を及ぼさないことも自然の摂理かもしれないけど、
その人の人生はその人のもので、私は脇役だとしても、
どこから湧いてくるのか分からないこの熱が訴えるのは、
「ヒトが一人死のうとしている時に、柵なんて関係ない」
ということ
その人が生きている時に、生きることのために私は情熱を注ぎたい。
それは死が待っているからではなくて、「今」「その時」に生きているから。
Living for…
死を意識する場面は、人生の中で多くあることではないかもしれませんが、
このサイトにたどり着いてくださった方の中にはそれを経験されている方、
経験されたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
死ぬために生きていない私たちは、いついかなる時も「生きる」ための選択
をし続けて、そうやって「生きて」いきましょう。