思いがけない痛みが過去を照らす-気づかずにいた身体の記憶
ある日突然、人生ではじめてのギックリ腰になりました。
私がなるはずなんてないと思っていた症状の1つ。
ギックリ腰の患者さんは何人も診てきた経験がありましたので、セルフケアをして、さらに鍼施術なども取り入れながらケアをすれば平気だろうと軽くみていました。
それが、1か月経っても調子が上がってこない。
日常生活は送れているし、お仕事もできているのですが、なんだかしっくりこない。
それに加えて、趣味のボクシングとセルフケアとしてのヨガをしたあとで腰に違和感が出たのです。リハビリのはずなのに、何かがおかしい?と知人に身体を診てもらうことにしました。
そうしたら、「もっと前からの古傷の蓄積かもしれない」と言われたのです。
自分では痛みを感じていなかった。
でも身体はずっと、何かを抱えていたのかもしれません。
今、私はその「古い痛み」をやっと自覚して、共同生活が始まったのです。
今回は、そんな身体の痛み、そしてそれに重なるようにある心の傷みについて書いてみようと思います。痛み(傷み)と生きていくことを考えた日々の記録です。
ギックリ腰になり、その後3日ほどはお仕事をしていました。
なぜなら症状としては軽く、動かせる程度のものだったから。ギックリ腰は安静にしすぎては良くないというのが今の定説ですので、それに則り、動かせる範囲は動かしていました。炎症期を過ぎていたかというと、それは曖昧でしたが・・・。
今まではそれでやってこれていた、そんな甘い考えが3日間変わらずに自分の身体にお仕事をさせてしまったのだと今は思います。
3日後、その日のラスト施術を終えたら、1時間ほど横にならないと身動きがとれないくらいに悪化してしまっていたのです。その日はなんとか家に帰りましたが、その後は数日お休みにすることに。お客様方にもご予約のご移動願いなどをして、ご迷惑をおかけしながら、ほとんど家からでないどころかベッドの上にいる時間がとてつもなく長い「安静」の4日間を過ごしました。
安静4日目は知人に鍼をしてもらいました。
炎症期は過ぎたので筋や神経に刺激を入れ始めた方がいい感覚になってきたからです。
そこで状態が回復してきたので、翌日から予定通りお仕事復帰をし、自分でもリハビリを始めました。
まずは、歩く時間を長くするところから全身の筋力を整え、体力を上げていくところから。
そして朝ヨガの時間もつかって全身の調整をしつつ、ギックリ腰で崩れたバランスを整えながらギックリ腰から1か月ちょっとしてボクシングも再開してみたりしていました。
ボクシング再開直後は、どれくらいのパワーで動くのがいいか探りながらでしたので、鈍い痛み(筋肉痛程度の)はあり、それも調整をして慣れていけばいいと取り組んでいました。
が、それも何回か過ぎたあとで、ボクシング後にヨガをした翌日に腰の神経トーンが下がっている状態つまり筋肉が萎えているような違和感を感じたのです。
これは、なんだかおかしいな?と思い、また別の知人のもとへケアをお願いすることにしました。
そうしたらば、「多裂筋が委縮してるけど何かしたの?」と。
たしかに今回のギックリ腰で私が傷めたのは右の多裂筋(下部:腰のところにある背骨を支える筋肉)ですが、何をしたか?と聞かれると、「ギックリ腰をした」しか出てきません。
ギックリ腰だけでこんなに後遺症のこらないでしょう(笑)というコメントに、過去を思い返しても腰に痛みがあった記憶がないので、何も原因が分からず。
その人は私の過去のスポーツ歴も知っていて、私がドラムに打ち込んでいたことも知っていました。
私の身体を使ってきた記憶をスポーツという面だけでみると、小学生から8年間ほどクラシックバレエ、中学~高校6年間と大学2年生から22歳までマーチングドラム、大学1年間ラクロス、大学3年生くらいから現在に至るまでヨガ、32歳からボクシングを始めて今に至ります。
さらに言えば、お仕事でも身体をつかいます。これまでに身体的に過酷だった職場がありました。その職場では就労時間が長いだけでなく、環境があまり良いとは言えなかったのもあり各所を傷めました。右坐骨神経痛はその頃に経験することになった私の痛みの記憶の1つ。
それらのことを総合的に考えて、知人が出した結論は「ギックリ腰よりも前から傷めていたものだ」ということでした。
一方で私は全くピンときておらず。
なぜなら、「腰が痛い」と感じたことがこれまでに一度もなかったからです。
重い・硬いはあっても、痛みを感じてこなかった。
でも、客観的視点でそのように診てもらって、ギックリ腰をしたことでやっと身体からのSOSに気づいた自分に申し訳ない気持ちになりました。ヒトの脳は痛みを常に感じていることはストレスになるので、痛みを感じないようにさせて他で代償させたりもするのです。そのようなことを知っていても、やはり感じなければ気づけない、ヒトってそんな生き物なのだなぁと改めて文字通りの”痛感”。
過去に私は手首のケガをしたことがあります。それも頑張って痛みを耐えてしまって回復するのに年単位かかる傷になってしまったことを思い出し、今回のギックリ腰でここまで痛めないと自分自身さえも労わってあげられない自分を今一度深く反省したのです。
ごめんよ、私の身体。
他人には、こうした方がいい、こうすると良くなる、と日々お伝えしているのに、自分の身体はケアしているつもりだったけれど、深く眠る声には気づいていなかった。
ギックリ腰後の身体とのお付き合いをしていく中で、今度は痛みを癒していくことや身体の再構築をすることはもちろんだけれど、予防をしていくことや同じことを繰り返さないような先回りしたケアをしていくことをいよいよしていこう!と心に誓ったわけです。
「平沼さんの多裂筋はアメリカに置いてきたかな!」
と、知人と笑いながら話をして。
多分そうだろうな(苦笑)と本音で思いながら、この傷が勲章とは全く言えないけれど、むしろ自分の至らなさの証明でしかないけれど、それほどに打ち込んできたものがあったことだけは誇りに思ってもいいのかもしれません。それくらいしないとこの傷も浮かばれません(笑)
何かにのめり込むと、水を飲むのも忘れ、ご飯を食べることも後回し、寝る時間を削っても平気になってしまう自分の特性は十分に理解したのだから。これからは、それらを”しない”ようにする努力よりも、その特性と”共に生きる”ための努力をしていこう。
-人は、何かを失って初めて気づく-
よくある陳腐なフレーズですが、全くその通りで。
いくら知識や情報があってもすべてを自分事にするのって案外難しい。
何かを失って気づいたときに、まだリスタートできるなら幸せだ、と私は思います。
身体は1つしかないから。
これまでに抱えてきたものを知った、という意味での「NEW自分」と共に生きてく。
数千歩歩いた日は、息をするのもつらいほど。それが、今の私の身体の声。
多裂筋のリハビリが楽しみで仕方ありません。
常に更新されるNEW自分、どうなっていくのかな。
最後までお読みいただきありがとうございました。