私、平沼穂香はセラピストというお仕事に就いて4月で9年目を迎えようとしています。

これまでに、鍼灸マッサージ師という肩書で勤めてきた場所はいくつかあって。
それ以外にアルバイトや派遣スタッフで、全く違う業種でも働いてきた経験があります。

そのような治療院以外での勤務経験も踏まえて、今回はブログを書いてみようと思います。

私がセラピストという役割で関わってきたお客様たちから受け取った行き場のない感覚の1つが「本心を言いづらい」というもの。
本当はこうしたい、こうしてほしい、と思っているのに相手は全然意に介していないことがありますよね。また、お相手が自分の本心とは全くリンクする部分もなく、別の領域で物事を考えていることが見て取れると、「言いづらい」という状態になるのだと考えられます。

察する能力というのは、人それぞれにあり、「察してもらう」ことを相手に期待せずに成り立つコミュニケーション技術を学ぶ方が、メリットが高いことは最初にお伝えしておきますね。

しかし、

コミュニケーションというのは、相手の発する言葉、声色、表情、しぐさなどから総合して捉えることも必要であり、それはある種の「察する」ということにも通じるのかもしれません。
私とあなた、という最低限でも2人の登場人物がいて初めてコミュニケーションは生まれます。相手が人間でも、動物でも、AIでも、”私”以外のコミュニケーション能力がある対象がいるから成り立ちますよね。相手がいない場合は、リアクションが返ってこないので独り言になります。

もし、あなたが何か言いにくいことがあって、言葉を尽くして要望を伝える努力をしたのにも関わらず物事が好転しない場合は、相手の問題と捉えるのがよさそうです。
①相手が要望に応える気がない
②共感能力あるいは語彙能力が低く要望が伝わっていない
これらのことが考えられます。

そのような相手に不満を抱いてもエネルギーの無駄になってしまうので、相手は自分の枠組みとは異なる思考回路の人間なのだ、と割り切った方がいいかもしれません。

でも、私たちはヒトですから不満や不安などは生まれますよね。

話は少し変わり、私がこれまでに受け取ってきたお客様の行き場のない感覚「言いづらい」についての例をお話したいと思います。

例えば、あなたがある治療院へ長らく通っているとしましょう。
その治療院スタッフの技術は気に入っており、立地も通いやすいとします。
ずっと診てもらっていた担当者Aが事情により長期休暇に入ったときから、別の担当者Bがつくようになりました。
Bでももちろん不満はないのだが、Aの方が信頼が高く、Aは在籍していていつか戻ってくることだけが分かっていて、それらについての詳細説明がないままである。
だからBにお願いをして通い続けるとします。
そうしたら、自分が行かない曜日にはAが時々は出勤しているようである。
しかも、イレギュラーで自分が行った日にもAが出勤しているが別のお客様を診ているではないか。
なんだか、Aが帰ってきたら担当にいつか戻してもらえると思っていたら治療院側の捉え方としては、このお客様はB担当ということにいつの間にかシフトされてしまっていて、今更本当はAの担当の方がいいとは言いにくい状況になった。

治療院に限らず、何か担当者がいるようなサービスを受けるときに、このような経験がある方もいるのではないでしょうか?

そこで、
「Aは復帰されたのですか?」「ちなみに出勤日はいつなのかしら?」と言葉にして聞ける人と。
「(Bに悪い気がするし、聞いても私がその日にフィットできるか分からないし聞きにくい)」と口に出さない人に分かれると思います。

あなたは、どちらですか?

このようなケースは、治療院(お店)側とお客様側で捉え方が違うことで、お客様側に少しの不満や不安が生まれてしまっています。
こういったすれ違いは少なからず起きるのは仕方がなく、双方の価値観の違いはある程度は許容しなくてはなりません。物理的に難しい問題が出てきたときには、お客様が通うのをやめるということになるでしょう。お客様にとっては残念なことでも、治療院経営という点では致し方ないことも起こり得る、とういことだけはお伝えしておきますね。

しかし、この例でいうと。
例えばお客様が希望担当者Aの出勤日に自分の予定を合わせられるか検討するということも、解決方法の1つでしょうけれども。問題は、「詳細説明がない」という点なのだと思います。
新しい担当者Bの技術に大きな不満はないから通われ続けているのでしょうから、治療院そのものへの技術的不信は現時点では小さいのだと考えられます。

詳細説明がない又はお客様にとっては不十分であると感じられた時点で、治療院(お店)側の時間軸で発生していることを当然お客様もご理解いただけているという勘違いがあるように同業者からは考えられます。

この例でいえば、スタッフAは長期的な休暇に入る、出勤日が不定になるという曖昧な情報だけが言い渡されているとしたら、その事実上起きていることに間違いはないけれども、サービスを受けるお客様からすると、状況に変化がみられたときに説明責任を求めてしまうのは当然だと思うのです。

治療院というお店なのであれば、少なくとも五体満足で全く健康な状態の人が来られるところではないのですから、そのあたりは繊細にコミュニケーションを取っていく必要があるように、私は思います。

これは、あくまで例としてストーリーを作ってお話しています。
が、この例のような「言いにくい」に加えて「不満が募る」というお話を何名からも受け取ってきたことがあります。

もしかしたら、私もそのようなコミュニケーションになってしまって残念に思われたお客様もこれまでにいらっしゃったかもしれませんけれども。

私たちセラピストはそういった行き場のない感情や感覚を、吐き出してもらい、水に流すこともお仕事の1つかなと考えています。
100%互いが満足のいく関係性というのは、他人同士ですから難しいですけれども、限りなく良好な状態に近づける努力は必要ですよね。

セラピスト側ができることとしては、説明責任についてはやりすぎだと思うくらいに果たすということと、相手が話しやすい時間や空間を設けられるような余裕を生む努力だと考えています。誰しも時間的・身体的・心理的余裕がないときには他人に優しくすることはできませんから。

こういった努力ができる素養がいつどこで生まれるのかは分かりませんが、何歳からでも気づきを得て、癒しを得て余白が生まれたときに吸収することができることでもあります。

相手は自分の鏡である。

これは、自責思考が強い方々は、自分のふるまいのせいでこのような事態になっていると考えがちなのですが、その逆も然りと考えてみてください。

自分は相手の鏡である。

‐不満を生む状況をつくっているのは自分なのではなく、相手の発信方法の結果が自分の不満をつくっている‐

他人のせいにして人生は上手くいきませんけれども。
相手の人間関係の作り方が自分にフィットしないのであれば、そのような人や状況とは折り合いをつけて、自分にとって心地のよいところにいけばいいのです。
心の中で、他人のせいにする(自分の不満は相手の発信方法によって生まれている等)ことは誰にも迷惑をかけていないし、自分以外の誰にも分かり得ないことですから、そのようなかたちでも折り合いをつけて、次にまた良い関係をつくれるように自分が努力をしてみる、とポジティブな自責につなげていけばいいのではないでしょうか?

いかがでしたでしょうか?

自責思考はポジティブに使うものであって、自分を責めるために使ってしまうと自分を傷つける刃となる、というお話でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。