祖母の命日に実家へ帰っていました

何故だか、誕生日の方が記憶にあり、毎年「誕生日に仏壇にお供えをする」という感覚が強いのですが、今回は「それであれば命日に来たら?」と促されたので、そのようにしてみました

特別に何をするということはないのですが、命日ということを意識すると
祖母と過ごした最期の日々のことを少し思いだしたのでブログに綴ろうと思います

祖母は、持病がありましたが死因は別にあり、亡くなるまでは急展開でした
持病とは別の病気が分かり、急遽一緒に住むことになるところから祖母との暮らしが始まります

それまでも実家と祖母の家はとても近く
私は小学校が終わると祖母の家に行ったりして、習い事の前の時間を過ごしたり
親の帰りを待っていたりしていました

祖母はとても料理と裁縫に長けた人でした
いつも美味しい料理、季節の食べ物を食べさせてくれていたのもあったからか
私にとって「食べる」ということは良い記憶ばかり残っています
幼いながらに様々な食材に触れる機会が多かったので、食育の進んだ子供だったかもしれません

また、草餅をつくるなら、よもぎを摘みに行くところから一緒に行ったり
筍堀りに行き、その筍の煮物や炊き込みご飯を食べたりと
食材は自然界にあって、それを調理して食しているという感覚を自然と身に着けたのもうちの家族の食事の在り方の特徴だったかもしれません

祖母の病気が発覚し、祖母との暮らしが始まりました
当時、私は大学卒業後の鍼灸専門学生でアルバイトをしたりマーチングバンドチームへのテクニカル指導スタッフとして活動していました
家族で1番時間を作りやすいのは私だったのもあり、食事係は私でした

家族全員の食事は私が買い物から調理までして
祖母の食事時間が遅くならないように、両親が帰ってくる前に2人で食べることもありました

人に食べてもらう料理は、気を遣うし、美味しく、見た目にも楽しく作ろうと工夫しますよね
独りで食べる時とは多くの点で異なるものの1つが「食事」かもしれません

料理上手だった祖母に、料理を振舞うのは少し緊張もしましたが
いつも「美味しい」と言って残さず食べてくれていました

今となっては
あのレシピも、このレシピも、もっと作り方を聞いておけばよかったと思う料理や調味料たちが沢山あります
唯一の心残りはそれかもしれません。記憶に残っている料理や味付けを真似てつくってみたりもしています

でも、同じ味にならないんですよね(笑)

それが、料理なのかもしれませんし
味の記憶もそういう口伝的な曖昧なものかもしれません

「美味しい」という記憶には、食事という経験や、もしかしたら調理という経験も含めて
全てをひっくるめたイメージが詰め込まれているのかな?とも思います

祖母は最期、固形のものは食べられなくなりましたが
割烹料亭の煮凝りなどを買ってきて食べさせてあげたりしました
食べることが好きで、料理上手な祖母に味気ない介護食は少し寂しい気持ちになるかなと思い
緩和ケア病棟の病室に持っていっていました

あまり話せなくなってきて
手足が浮腫んできた祖母の身体
まだ学生ながらに「お手当て」レベルの軽擦マッサージをしてあげたりしていました
それが私のリンパドレナージデビューだったのかもしれませんね

の時の面白いエピソードがあります
私は解剖学の教科書を読んでいて、骨盤帯の骨の図を見ていました
ちょうど仙骨の図を見ていたら、それを横目に見た祖母が「鯵の開き?」と言ってきたのです
爆笑してしまったのを覚えています
そして、たしかに鯵の開きに見えるのです(解剖書がある方はぜひ見てみてください笑。できればアトラス解剖の白黒の図が最適です)

祖母には多くの暮らしの知恵を教えてもらいました

私にとってのオーガニックライフの始まりだったのかな

最後までお読みいただきありがとうございました