アートパラ深川、テーマは「共に生きる」-BOS news-
2023年10月14日~22日に東京都江東区で開催されていた「アートパラ深川おしゃべりな芸術祭」へ行ってきました
会期中は、展示エリアの地域に芸術作品が点在していたり、集合展示されていたり
「深川の街全体が美術館になる9日間」と、称される通りで
街並みを散策しながらアート作品に触れられる、とても素敵なイベントです
展示されている作品たちの生みの親、アーティストたちは、障がいを持つ人々です
日本国内の障がい者は約1160万人
国民の約10人に1人が、何かしらの障がいと共に生活をしているそうです
第4回目のアートパラ深川のテーマは「共に生きる」
私は限られた時間しか足を運べず
清澄庭園内と深川不動堂ロータスホールのメイン展示のみ駆け足で鑑賞
それでも
とても、とても、感動しました
恥ずかしながら頭のどこかで淡い線引きをしていた自分に気づき、それと同時に
非言語の表現という
ヒトが生物として持つ、最も原始的かつ重要なコミュニケーションの在り方を思い出させられ、どの作品も胸を打つものでした
非言語コミュニケーションの上では、「障がい」と社会が決めた身体・知能・認知などの違いは、個性でしかなく
またその個性を表現できる能力は、「障がい」の有無とは無関係
ありのままを見るというピュアな認識を改めて、私の脳に上書きした瞬間でした
これは、障がいがあるから、障がいがあるのに、という視点では全く面白くありません
芸術作品を見るとき
そのアーティストから視えている世界はどんななのだろうか?
と、いつも想像します
それまでの人生経験とか生い立ちとか、ジェンダー的なこととか
そういうこともあるでしょうけれども
その作品を作った、その時
その人の脳内には何が浮かび、世界をどう視ているのか
同じ形、同じ色、同じ距離
その日その瞬間で表現したいものは変わってしまうかもしれないのに
1つの作品が出来上がる
これって、私にとっては、とても不思議で魅力的な謎です
施術もアートと似ているところがあると感じています
基礎の学問的な要素を超えて、いざキャンバス(臨床)へ!となったら、
施術は1回のその時間内にある程度の結果を残すという時間的な制限はあるものの
次、その次、と時間をシェアしてくださる患者さんの変遷を共に歩みながら
心身がその人の理想となるイロ、カタチに作り上げていく
そこには、私たちセラピストが全てをコントロールできるものなど1つもありません
その方それぞれの人生があって
その方それぞれの考えや行動があって
私たちの知らない時間を過ごされて、またお会いする
どんなに想定内のことを増やしても、常に出たとこ勝負(笑)
でも、理想に近づけていく
その理想は、患者様の理想と
私が考える理想を擦り合わせていく作業でもあります
やっぱりヒトは、1人では生きられないのですね
話はアートパラ深川に戻りまして
これまでも存在は知っていながら、今回が初めて行くことができたわけですが
イベントを知ったきっかけは、イベント運営ボランティアをされている、ある方の告知でした
そのお方は、BLUE ORGANIC SPACEではお馴染みの保湿ケアコスメ「Sotto Satto(ソットサット)」の開発者である緒方さん
Sotto Sattoの開発のみならず、数々のお仕事をされていて
ザ・キャリアウーマンという仕事ぷりに、いつも驚かされています
鍼灸師よ、えっちらおっちらやっていたら、人生あっという間に終わってしまいますよ(笑)
がん術後や術後リンパ浮腫、という状態の方は
ある種の「障がい」を持っているのと等しいと言えると、個人的には考えています
医学的な病名としての障がい名は付きませんけれども
障がい、はどこに生まれ存在しているか分からない
生活の中で、細分化する必要のない場面はきっと多くて
例えば「発達障害」と言われるものも
約10人に1人は持っているとされているし、グレーゾーンの人もいれたら
世界にはどれだけのそういった「個性」があるでしょうか
そんな私も、どちらかというと個性が少し強いタイプであることを
ごく最近になって自覚するようになりました
幼い頃
家族が先に行くのもそっちのけで、スーパーの下着特売エリアでお下着がぐちゃぐちゃにワゴンに入っているのが気になって仕方なかったようで、ずっとお下着を綺麗にたたんでは同じ向きに並べなおす、ということをやっていました(笑)
何かに没頭すると、水を飲むのも、お手洗いに立つのも忘れて、何時間でも取り組んでしまう集中力があったり
興味のあることは一字一句違わずに詳細まで覚えているのに、無関心のものはまったく記憶に残らない
など
今まで、何だか人と馴染めないと感じる瞬間もあり、苦い経験も年齢の割にはしてきた方かもしれません
大人になって、もっと言えば鍼灸マッサージ師として開業してやっと、
なんだかよく分からないけど水と油のように馴染まない感覚が、ただの「個性」だったのだと認識できるようになってきました
誰一人として同じヒトはいない世界であることを
大人だって理解が難しいのに
子供のときから理解するのは難しくて
心も知能も身体も
それぞれの方向性と速度で育っていくから
出たとこ勝負、なのに、社会には枠組みがある上に待ってはくれない
なんて、世話しない世の中なんでしょうね?
そんな中で私が私を理解し守り、他を傷つけないために学び、私にかけ続けた言葉たちの一部
大丈夫
なんとかなる
まぁ、いっか
頑張った
良い学びだった
次はもう少しうまくやれるかも
そんな感じで、いいんじゃない?-So far, so good-で十分じゃない?
と素直に思えるようになったからこそ
アートパラ深川の作品たちは、とても心に響きました
芸術の秋は続く♪
最後までお読みいただきありがとうございました